1/22- 1/23
1/22
日中は仕事、夜は映画。『aftersun / アフターサン』と『ショーシャンクの空に』を観る。前者を観て辛い感じになったので後者を観たのだが思いのほかピンとこなかった。最近観て一番良かったのはグレタ・ガーウィグの『レディ・バード』かな。
1/23
日中仕事、夜は特別なことはせず。晩御飯はカレーとソーセージにしたのだけれど、よく行く店で勧められたソーセージが非常に美味しかった。また買おう。読書は石川准『人はなぜ認められたいのか』が届いたのでパラパラ眺めただけ。1999年の著書なので時代を感じるが(「テクノ依存」という言葉が出てきたりする)、前から気になっていたので購入してみた。
1/19 - 1/21
1/19
日中は仕事。夜はボランティアのコミュニティ活動のミーティング。前から読みたかった須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』が本屋で見つからなかったので『ミラノ 霧の風景』を購入して帰ってきた。読むのが楽しみ。
1/20
ほとんど寝ていた土曜日。雪が降ると聞いていたが雪は降らずに雨がしとしとと降り続いた。『社会関係資本』という本を結局Amazonで購入。この分野、最近はどんな研究が進んでいるのだろうか。
1/21
ほぼほぼ寝ていた日曜日。起きてはラジオを聞きながらまた寝落ちるということをずっと繰り返した。眠るまでにまだ時間があるので何か本を読んでみようか。久々に音羽館あたりに行ってみたい気持ちもあるのだが、いかんせん外が寒いので活動が鈍ってしまう。来週末は赤坂に行ったり神楽坂に行ったりする予定。とても楽しみ。
1/16
1/16
日中は仕事、夜は読書と料理。仕事といっても次のプロジェクトが決まるまではお勉強の時間なのであれこれお勉強をして定時で切り上げ。何を読もうかしらと考えた挙句、結局小林康夫の『存在とは何か』の続きを読み進める。3、4、5章と読み進めたわけだけれど、結論からいうとよく分からない章であった。存在論を考える際には人文学の見ている世界だけでは不十分で自然科学の見ている世界を考慮に入れなければいけないということで人文学的な考察と自然科学(へ)の「解釈」を繋げようとするわけだが、私にはうまくいっているようには思えなかった(これは「失敗している」と言っているわけではなく、私にはよく分からなかっただけ。但し、おそらく著者自身が感じているように、必ずしも明瞭な議論とは言えない)。次に何を読もうかと思索した後に結局ヴォネガットの『読者に憐みを』を読み進めることにして、第1章を読み終えた。やはりヴォネガットの文章は分かりやすくて有り難い(この本はヴォネガットがすべてを書いているわけではないが)。その有り難さは当たり前のものではなく、どうやらヴォネガットの「憐み」からきているらしい。ありがとう。まだ眠るまでに時間があるのでいくらか本を読みたいが読めるだろうか。候補は川端康成の『雪国』と古井由吉/大江健三郎の『文学の淵を渡る』。そうこうしているうちにアヒージョが出来上がった。冷める前に食べてしまおう。
1/15
1/15
年末にある程度積読を消化した。ヴォネガットの小説およびエッセイと横尾忠則の新書を中心に読んだ。どちらも私の好きな「山田玲司のヤングサンデー」という番組を見て興味を持ったのだけれど、読んでみて大正解であったようにおもう。横尾忠則さんの著作は創作活動と死について(ということは同時に生についてでもある)が主題であることが多く、ヴォネガットの作品もまた自由意志の問題を取り上げつつも生と死について書かれているように感じた。(生と死について考える)ついでなので前から読みたかったネーゲルの『コウモリであるとはどのようなことか』を購入しておいた。他者問題を考えるときに必ずといってよいほど言及される著作であるが、実は未読だった。とりあえず永井均の解説は読んでおいたので早く本文に取り掛かりたい。本屋で偶然見つけた小林康夫の『存在とは何か』もこの流れで購入してみた。第2章まで読んでみたが、こちらは現代思想的な観点から存在や自由、生と死について考えていてこれはこれで面白い。そういえば昨日は若松英輔の『読み終わらない本』という本を読み終えた。大変すばらしい本で、もし私が学校(あるいは何らかの教育機関)の先生であったならば生徒に勧めていたに違いない。若松さんの著書は昨年からよく読んでいるだが、『悲しみの秘儀』という著作が大変素晴らしかった。明日も仕事なので読書の時間をどれくらいとれるか分からないが、読書候補としては小田切秀雄の『万葉の伝統』、秋山豊の『漱石という生き方』がある。ヴォネガットの『タイタンの妖女』と『読者に憐れみを』も読み進めたい。
初投稿
試しに少しずつ書いてみることにする。